知事選挙の立候補宣言のコメントを聞いて、違和感を感じました。本日は、立候補者の立場に立ち、どう変えれば良いかを考えてみました。
現職者が初めて当選した時は尊敬し憧れていたが、公約達成はゼロであった(正しくは1つ達成)。そのうえ、現職者は政権政党の延命に力を貸している。国民は、この行為をリセットして欲しいと考えている。自分は、その先頭に立つことを使命としている。これが、出馬に至った理由と説明しました。そのうえで、政権政党の政治に反対し、現職者による知事活動を否定することをスローガンに掲げました。
当選した時と現在では、環境や時勢も大きく変わるので、必ずしも全ての公約が達成できる環境にはなかったかも知れない。その理由の一つに、国政の失態が公約を阻害したと思われる。有権者が、新たな公約や新たな国政の在り方を求めているのであれば、自分が知事となり、公約や国政との関係を見直して、新しい姿をお見せしたい。その為に立候補することとした。この説明の方が、違和感が少ないでしょう。
違いは、現職者を責めず、環境の変化や国政の影響を認めて、上手くいなかった点について、環境や国政に影響されない知事活動が、自分の使命であることを主張する点です。名指しで指摘する発言をすると、必ずや本人はどうなのかというブーメランが返ってきます。その時に受けるダメージは大きいので要注意です。
少し広い視点で考えると、人間は大まかに違いはなく、違いがあるとすれば、ビジョンが伝わるか、次の一手を説明できるか、諦めない姿勢か、誠実であり続けられるかなどが重要なポイントになると思います。その為には、主張する話の各センテンスが、大部分の人が肯定する内容であることが、大切です。
聞こえの良い、歯切れの良いコメントは大きく聞こえますが、それだけ跳ね返ってくる声も大きくなります。指摘や非難をすれば、指摘事項や非難に対する社会の反応も大きくなります。目指す姿に加え、現職者が上手く進められなかった公約や活動に対し、改善する案を説明できれば、意見や反応も大きく返ってきます。それゆえ、指摘より改善案という考え方もありだと思いました。



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