先日の国会議員補欠選挙において、他の候補者の街頭演説を妨害する行為が、政党によって行われました。本日は、自分が正しいと考えていることが、社会の非常識となることについて、考えてみます。
当該政党の主張は、表現の自由の中で適法にやっていると言うものです。今後も同様の活動を続けると言っています。適法に行っていれば、たとえ選挙民が候補者の演説を聞く権利を侵害しても、構わないという考え方です。
多くの国民は、この考え方に違和感を覚えたと思われます。見苦しい映像が流れ、報道のマイクを通じて、適法、表現の自由と主張する党首の姿が憐れに見えました。他の候補者の近くから拡声器でがなり立てたり、一方的に主張を述べてその場で返答を求めていました。当該政党が表現の自由を主張しても、他の候補者の表現の自由を侵害しているので、多くの国民は不適切と考えると思われます。
要すれば、自分たちのロジックが正しくとも、社会に属している以上、社会が非常識とみなせば、自分たちのロジックは社会規範に反することとなり、法令違反ではなくとも、社会から制裁を受けます。
コンプライアンスとは、社会の常識の範囲内の活動を行うことです。社会の常識から逸脱すると、社会規範という目に見えない勢力から非難な制裁を受けます。SNSでの誹謗中傷や報道などによる情報拡散が、その例です。
企業経営者が自社役職員に対し、法令違反をしないことを指示命令する時代は、既に終わっています。社会の常識から逸脱していないかを確認するプロセスを事業活動の中に織り込み、必要であれば家族、コンサルタント、弁護士などの第三者に意見を求めて、社会規範に反していないかを確認することが、必要ではないでしょうか。
法令違反でなければ、何をやっても構わないというレベルの方々に、国政を担って欲しいかと言われると、違和感を感じるの国民が多いのではないかと思われます。



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