元社長が、課長時代に試験の測定結果と異なる数値を成績書に記入し、顧客に示していました。ただ、実測値は公的規格の許容範囲内で、虚偽記入の半分以上は、実測値より品質が悪いと受け止められる数値への変更でした。第三者委員会のトップは、元社長には不正の認識はなかった旨、書いていました。
この最終報告書とそれに関する記事を見て驚きました。第三者委員会は、不正を不正と思わない社長・役員・事業部長・部長・課長がいたと認めた記述をしながら、最終報告書としたからです。その時は不正の認識はなくとも、以降は、本人が罪の意識に苛まれたか、不正を正当化していたはずです。
一般論ですが、企業内で人が成長していく過程で、上手くいったことは次の部署でも使います。以前より大きな任務や難しいタスクを任せられれば、今までと逆に実測値より品質が良い数値に変えればクリアできると考える位の所作は、身に付けていると考えるのが自然です。まして社長になる逸材です。
事業部は異なれど、目を見張る成果を出した課長が昇進すれば、他の課長は、成果を出した理由や手法をリサーチします。事業部長になれば、「言わなくとも分かるだろう」と悪代官みたいな発言をしても、直接の罪に問われません。「このことは墓場まで持っていこう」と言われたら、部下は、ビジネスの成功を裏付けたと勘違いもするでしょう。そういう言動が、社風となり文化になり得るのです。
こうした積み重ねが年々進化して、社内の各事業所や製造工場に広がり、全社で不正が長期間常態化したと判断するのが自然です。報告書では、全製造部門のうち、何割に不正があり、全基幹商品の何割が不正な数値だったのか、という全体感が把握できませんでした。これでは、不正の全体像を示したことには、なりません。社会が納得する調査結果を公表し、社内風土、人柄、役職者の昇進まで遡って、不正が風土となったことを示せば、良かったと感じました。
今年の8月まで不正が継続していた事業所があり、第三者委員会の調査では見つからないかも知れないと考えていたようです。これでは、再発防止策を講じるまでのスタートラインに到達すらしていません。第三者委員会も、さじを投げたというのが、正直なところでしょうか。
元社長の人となりに関する過去の記事を読む限り、起こるのが当然と思われるものでした。むしろ、課長時代以降に、同じことを社内に正当化させたことを裏付けるだけの証拠や証言は発見できず、社内における不正の横展開とは言い切れないとでも結論付けた方が、社会が納得したのではないでしょうか。



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